その他エピソード等

『mamiのRADIかるコミュニケーション』出演時代は、「エロ純(ずみ)」,「エロぞう」と呼ばれるほど下ネタが多く、それが男性比率の高い同番組での人気確立に一役買ったものと推測される。だが、『遙かなる時空の中で』出演以降、ファンの男女比率がまるっきり逆転してしまい、下ネタはほぼ封印されてしまった。現在でもライヴ会場などに現れる男性の多くは、当時からのファン(RADI 2467;ミリスナー)である可能性が非常に高い。
『TV Game Radions R』の8時間耐久イベントの第1回目(於りんくうパパラ)では、特技のローラーブレードを使って東京都内から名古屋市内まで走り抜けるという偉業を成し遂げた(もちろん箱根の山越えも)。そしてそのまま、イベントの前々日に名古屋で行われたプレイベントに参加。名古屋から大阪までは車で移動し、イベント当日には大阪市内からりんくうパパラの会場まで再び走破し、そのままイベントに出演した。
イラストレーターとしても公式サイトなどで作品を発表している。その多くはオリジナルキャラクターの "すね太" と、格言めいた一言によって構成されている。それらの作品は発表を始めた時期から考慮し、小森まなみが同様の作品を発表していたことから、直接的にはその影響を受けたものと推測される。
ライヴツアーでは、「名古屋は鬼門」と言われるぐらい、何かしらのトラブルがつきまとう。2003年のライヴでは、直前の大阪公演の時に整髪料が目に入り、片目に眼帯を付けた状態で出演。2004年のライヴでは、体調不良の中で仙台・札幌での公演を強行し、札幌公演直後に倒れ入院。その後の福岡公演とともに、半年もの延長を余儀なくされた。だが、『mamiのRADIかるコミュニケーション』・『TV Game Radions R』ともにキー局が東海ラジオ放送ということもあって古参のファンも多く、またイベントなどで訪れた回数も多いため、「名古屋への思い入れは深い」という主旨の発言がある。
h.NAOTOとのコラボレーションの結果、ファンの間にも同ブランドが浸透し、ライヴ会場はさながらh.NAOTOの作品展示会の模様を呈している。
2005年2月20日から早慶外語ゼミとのタイアップで「slowly but surely」がCM曲として使われている。4月現在、早慶外語ゼミのホームページにて配信中。[
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